あのジャックブリスコが死んだ。
先日のウイリアムスといい、私にとって思い出深いレスラーが次々とこの世から去って行く。私がブリスコと初めて会ったのは1974年12月2日。そうジャイアント馬場さんが鹿児島においてNWA世界ベルトを巻いた日である。
その日の朝、城山ホテルのロビーで時の世界チャンピオンジャックブリスコと会ったのである。まだ30代前半で長髪の若きハンサムなチャンピオンであった。私はまだ入門して1年もたっていない若僧だった。
そんな私にブリスコは気さくに声をかけてくれた。それから6年後、私はアメリカに旅立ち、フロリダとノースカロライナでジャックとジェリーのブリスコ兄弟と再会し、何度も試合をした。
兄弟揃ってアマレスの全米チャンピオンだったのでグランドレスリングの技術は凄く、到底私などは太刀打ちできなかった。
1982年の暮れだったか?ノースカロライナのテリトリーの中で千人ほどの観衆が見守る高校の体育館でジャックブリスコと私はメインで試合をした事がある。大会場での大試合じゃなくアメリカ流にいえばスポットショーと呼ばれる何のへんてつも普通の小さな試合。
むろん私がヒールでジャックがベビーフェイスの人気者。会場の百パーセントのブーイングを浴びながら私は憧れのジャックブリスコと試合をした。結果はもちろん私の負け。決まり手は逆さ押さえ込み。60分1本勝負だったが、なんと50分以上のマラソンマッチとなった。
当然ブリスコは手加減してくれた。相対した私にはわかる。本気を出せば15分ほどで決着はついた。当時は2人の実力差はかなり開いていた。ブリスコの得意技四の字固めも何度か架けられた。わざとロープ際でね(笑)。
私との試合を楽しんでる風だった。ジャックブリスコにとっては余裕の試合。また私にとっては思い出深い試合。36年となる私のプロレスキャリアの中で今だにシングルマッチの最長記録である。
私は28歳だったが、あのジャックブリスコとノースカロライナの片田舎の会場で50分を超える試合ができたことを今となっては誇りに感じている。もはやシングルマッチにおいて私自身の歴史でこの試合時間を超えることは絶対にあり得ない!(笑)
それにしてもジャックブリスコはモテてたなあ。震い付きたくなるほどのいい女のガールフレンドがたくさんいたぜ!羨ましいかぎりだった。合掌。