当時はカールゴッチもビルミラーも
オハイオ州を起点に全米各地を駆け回っていた。
2人とも売れっ子レスラーだったのである。
そんな中時間をさいて2人はスパーリングをした。
ゴッチが先生でミラーが生徒。だが体格はミラーがひとまわり大きい。
ゴッチにとってもいいトレーニングとなった。
アマレスの技術ではミラーの方が上。
最初一ヶ月は1分以内に関節を決められていたミラーだったが
だんだん砂が水を含むようにサブミッションを覚えていくと
ゴッチも容易に決められなくなったらしい。
いつも試合前のリングを独占しての2人のスパーリング。
他のレスラー達も見物したようだ。
トップレスラーのミラーを子供扱いするゴッチの強さ上手さに
回りのレスラーはかなり驚いたという。
だが半年たつとミラーが常に上になってコントロールし
ゴッチに関節を決められないほど強くなってしまった。
逆にミラーがゴッチを決めようとする。
さすがにゴッチは決めさせない。
しかし体制はいつもミラーが有利。
それがスタンドからでもグランドからでもである。
それまで圧倒的強かったゴッチが苦戦すると回りのレスラーがはやし立てた。
それを見てゴッチが上がって来い!と言う。
むろん誰も上がって来ない。
ゴッチとミラーはレスラー達から恐れられる存在となった。
ただミラーはゴッチほど頑固ではなく
ヒールレスラーとしてそれ以後もマスクマンになったりした。
ニューヨークでは当時全盛期で人気絶頂のブルーノサンマルチノの
タイトルに何度も挑戦して、かのマディソンスクエアガーデンを超満員にした。
当時ニューヨークでカンガルーズという名でタッグチャンピオンだった
アルコステロが(彼もシューターで有名)一番強いのはビルミラーであると言った事が
ミラー最強説の始まりらしい。
実際その時期はゴッチより強かったかもしれない。
ミラーはゴッチに感謝し
ゴッチより早くこの世を去ったが亡くなるまで2人の友人関係は続いたという。
ルーターレンジは黒人でルーテーズのポリスマンだったレスラーだ。
要するに用心棒だったのである。
身長は170センチの小柄ながら肩幅は広くパワーの塊だったようだ。
テーズにシュートで挑戦するならまずレンジと対戦しろ!
と言われたほど強かったレスラーだ。
最強伝説には必ず名前があがるレスラーである。
力道山時代に一度、国際プロレスに一度、計2回しか来日していない。
40過ぎに試合中のリング上で心臓麻痺で亡くなった。