名前:渕 正信(フチ マサノブ)
生年月日:1954年1月14日
出身地:福岡県北九州市
身長:183cm
体重: 105kg
デビュー:1974年4月22日 対 大仁田厚
得意技:フェイスロック
バックドロップ 各種拷問関節技
タイトル:世界ジュニア アジアタッグ
入場テーマ:
デンジャー・ゾーン/『トップガン』

1974年2月、全日本プロレスに入門。
1989年10月20日からの第10代世界ジュニア王者時代には、14連続防衛の長期政権を確立。
ヘビー級のジャンボ鶴田、ジュニアへビー級の渕正信として一時代を築いた。
2004年の5・22後楽園大会では、天龍と組んでアジアタッグ王座を見事に奪取。
最近はスポークスマン、小説家、テレビ解説者としてリング外でもマルチな活躍を見せる全日本の重鎮だ。
 
 
 
 
 
寝たきりジイサンは官能作家?
2008.10.31

ちかばあさんが言う。

「もう10年もこの状態。脳梗塞で倒れてね。

意識があるのかないのか、寝たきりでね」

 

ジョージが溜め息まじりにつぶやく。

「意識はありますよ」とちかさんが言う。

「そうかなあ…」と言ってジョージは私とともに寝たきり老人を見つめる。

 

「誰だと思います?」とまたジョージが言う。

口が半開きで力のない視線の老人を見ても見覚えは全くない。

「ここは月6千円ほどの都営団地でね。住んでるのは年寄りばかり。

だから限界団地なんて呼ばれている」

月6千円といっても年寄り2人では毎月大変だろう。

 

「今月分の家賃は持って来てくれたかい?ちかさん」

「ええ、おととい」ちゃんと世話してくれている人がいる訳だ。

「ジョージさん、誰なんだ?このジイサン」

ジョージが笑いながら

「それほどのジイサンではないですよ。

まだ60代前半だから渕さんより10も上じゃないはず」

それにしちゃ老けている。

 

「この男こそ本物の桜丸あきら。かつては有名な官能作家です」

?なに!「本当の名前は山下節男。聞き覚えがあるでしょう」

「あるある。でもたしか10年ほど前死んで。それで…」

「そう、ゆうさんという人はそれで断筆して作家をやめた、という事になってる。

ところが実際は本物の桜丸あきらが

この状況になったため辞めざるを得なかった訳だ」

 

あの山下節男が官能作家桜丸あきら。

なるほど上原氏が怒るわけだ。態度の急変も納得がいく。

 

ゆうさん、あんた今どこにいるんだい?



 
知るわけがない!
2008.10.30

先日知り合ったダーツバーのマスターで探偵のジョージと待ち合わせて
新宿のとある団地に向かった。



どうしても私に来て欲しいてことなので夕方に一緒に行った。新宿なら我が家から近い。
新宿近辺にこんな大きな団地集があるとは知らなかった。だけど何か活気がない。



2人でぶらぶら歩いて目標の団地に着く。階段で2階に上がる。
ジョージが無造作にチャイムを鳴らす。



中から80歳くらいのお婆さんが姿を見せた。腰が少し曲がっている。
「ちかさん、元気かい」ジョージが声かけて中に入って行く。



「渕さんもさあ、」というので私もジョージの後から入る。
和室の左の奥にベッドがあり、そこでジイサンが寝ている。



着物姿で白髪は逆立ち、痩せていて見るからに具合が悪そうだ。
お婆さんがお茶をちゃぶ台の上に置く。



「渕さん、この人誰だと思います?」知るわけがない。



 
関節技の名人〜最強レスラー
2008.10.29

サブミッションマスター、要するに関節技の名人となると私が思うには、やはりカールゴッチ、ビルロビンソン、そしてロビンソンが推するビリージョイス、それからやっぱりルーテーズ、意外と思われるかもしれないがパットオコーナー。この5人は名人級じゃないかなあ。

 

 

ホッジ、ハットンはアマレス的コントロールは素晴らしいが、こと関節技となると前記の5人に劣るのではないか?パットオコーナーは本当意外かもしれないね。しかし、アメリカマット界での評価はハットンより上だぜ。ルーテーズはハットンの実力を買ってたけどね。馬場さんはオコーナーの実力を買ってた。

 

 

NWA世界チャンピオンになったほどの実力者なのに細身の体格で強さより上手さが目立つレスラーだったよな。本当は目茶苦茶強いんだがね。ビリージョイスと相通ずるものがあるんだな。馬場さんのアメリカでの師匠であるフレッドアトキンスも結構サブミッションマスターだったらしいね。力も強くて樫の木にロープをくくり付けて若き馬場さんと引っ張り合いのトレーニングをしたらしいが、馬場さんは一度も勝てなかったと聞いたことがある。

 

 

こうして書いてみるに本当いろんなレスラーの名前が出て来る。多分若いプロレスファンにとっては、初めて聞く名前が多いはず。ま、ブログを書いてる男が50代のプロレスラーだからなあ。(笑)それじゃ私なりに外人に限っての最強レスラー10人を書いてみるかな。

 

 

やはりサブミッションマスターの5人テーズ、ゴッチ、ロビンソン、ジョイス、オコーナーは外せない。これで5人で後5人。それはやっぱりホッジ、ミラー、ゴーディエンコだね。残り2人は難しい。レンジ、ハットンの伝説的強さは聞いてるが、ここはプロレス的パワーを独断で判断してモンスーンとアンドレザジャイアントを残り2人の枠に入れるとしよう。

 

 

どうですか?この10人。当たり前過ぎる?それとも意外?全く興味ない?(笑)

いいよいいよ、どうせ酔すい男のブログなんだから…。(笑)

 

 

また明日!



 
さて結論はいったい…?
2008.10.28

これはあくまで豊登個人の意見だが、ゴーディエンコの凄さを物語る。
怪力自慢だった豊登が思いっきりぶつかったが、軽々と持ち上げられて
後ろに投げられたという事だ。



「あんなのは初めて。あいつは人間じゃない!」というのを豊登から直に聞いたのが
ラッシャー木村さん。木村さんも同意見だった。



「何が強い誰が強いてジョージゴーディエンコが一番強い!」と私自身も
木村さんから聞いた。木村さんはそれまでダニーホッジとビルロビンソンが
最強だと考えていた。



実際当たって見てゴーディエンコの桁外れの強さに考えが変わった。
岩のような身体に人間離れしたパワー。アマレステクニックもあり、
なおかつサブミッションも出来る。スタミナも凄い。身長はなかったが
分厚い身体で上に乗られただけで身動きできずギブアップしてしまうほどだったようだ。



ルーテーズも認めるゴーディエンコ。それほどの実力を持っていながら
世界チャンピオンにはなれなかった。欲のない性格が災いしたのか?
本人は気にせずレスリング自体を愛してたらしい。
それと同じくらい好きだったのが絵画。実際引退後は絵描きになった。



ビルロビンソンは「ビリージョイスこそ最強」という。
フワッと絡み付いてあっという間に関節を決めてしまう。ある種合気道的強さ。
サブミッションマスターとしては最高師範。テーズと同世代のレスラーだ。



ただ木村さんが言うには、ゴーディエンコはそんなのを超越した強さだったというのだ。
ゴリラみたいだったんだね。(笑)



ゴリラと言えばゴリラモンスーンてレスラーもいた。
195センチ170キロの大型ながらやはり全米アマレスチャンピオン。



テーズ、ゴッチ、ホッジの3強時代にもうひとつパワー3強と呼ばれた
レスラーがいた。ゴリラモンスーン、ビルミラー、ドンレオジョナサンの3人。
この3人もそれぞれ最強伝説がある。



それを考えると誰が最強なのか決めるのて大変だね。
それこそアンドレザジャイアントこそ最強だと言う人も多いはず。



私がプロレスファンだった時代はジャイアント馬場こそ世界最強だった。
当時アメリカマット界のチャンピオンだったジンキニスキー、サンマルチノに勝ち、
エリック、ブラジルの挑戦を退けたニュースに狂喜したもんだ。



私自身プロレスラーとなり、様々レスラーの話で意外な最強レスラーの
名前が出て来る。この項でもかなりの名が出て来たね。
誰が最強だったか?永遠のテーマかなあ。
だけどこうやってレスラーの名前を挙げるだけでも楽しい。
さて結論はいったい…?



 
最強は誰だ??
2008.10.27

かなり昔のプロレス雑誌に豊登のインタビュー記事が載っていた。

私が子供時分だから、本当昔。

その時豊登が話してたのは、

力道山との会話でこれ迄来日したレスラーで誰が一番強かったという事。

 

2人の会話でベスト5が決まった。 

それは、カールクラウザー、ディックハットン、ビルミラー、

パットオコーナー、ルーターレンジだった。

なぜルーテーズが入ってないか?

それは2人ともテーズは別格扱いにしたからだ。

 

力道山が亡くなる少し前だが、

ブラッシーやデストロイヤー、オルテガの名がないのが面白い。

今思い出しても興味がわく。

 

しかし、後年国際プロレス時代になって豊登の意見は大きく変わる。

もっと強い最強のレスラーに出会ったからだ。

そのレスラーはビルロビンソン。

こんな天才的な凄いレスラーは初めてだと目を丸くした。

若くてタフで技が切れて喧嘩も強い!

こいつは今までの中で最強だと思った。

 

だがそれも半年でまたもや意見が変わった。

大変なレスラーと出くわしたためである。

その男の名はジョージゴーディエンコ。



 
ゴッチとミラー
2008.10.26

当時はカールゴッチもビルミラーも

オハイオ州を起点に全米各地を駆け回っていた。

2人とも売れっ子レスラーだったのである。

 

そんな中時間をさいて2人はスパーリングをした。

ゴッチが先生でミラーが生徒。だが体格はミラーがひとまわり大きい。

ゴッチにとってもいいトレーニングとなった。

アマレスの技術ではミラーの方が上。

 

最初一ヶ月は1分以内に関節を決められていたミラーだったが

だんだん砂が水を含むようにサブミッションを覚えていくと

ゴッチも容易に決められなくなったらしい。

 

いつも試合前のリングを独占しての2人のスパーリング。

他のレスラー達も見物したようだ。

トップレスラーのミラーを子供扱いするゴッチの強さ上手さに

回りのレスラーはかなり驚いたという。

 

だが半年たつとミラーが常に上になってコントロールし

ゴッチに関節を決められないほど強くなってしまった。

逆にミラーがゴッチを決めようとする。

さすがにゴッチは決めさせない。

しかし体制はいつもミラーが有利。

それがスタンドからでもグランドからでもである。

 

それまで圧倒的強かったゴッチが苦戦すると回りのレスラーがはやし立てた。

それを見てゴッチが上がって来い!と言う。

むろん誰も上がって来ない。

ゴッチとミラーはレスラー達から恐れられる存在となった。

 

ただミラーはゴッチほど頑固ではなく

ヒールレスラーとしてそれ以後もマスクマンになったりした。

ニューヨークでは当時全盛期で人気絶頂のブルーノサンマルチノの

タイトルに何度も挑戦して、かのマディソンスクエアガーデンを超満員にした。

 

当時ニューヨークでカンガルーズという名でタッグチャンピオンだった

アルコステロが(彼もシューターで有名)一番強いのはビルミラーであると言った事が

ミラー最強説の始まりらしい。

 

実際その時期はゴッチより強かったかもしれない。

ミラーはゴッチに感謝し

ゴッチより早くこの世を去ったが亡くなるまで2人の友人関係は続いたという。

 

ルーターレンジは黒人でルーテーズのポリスマンだったレスラーだ。

要するに用心棒だったのである。

身長は170センチの小柄ながら肩幅は広くパワーの塊だったようだ。

テーズにシュートで挑戦するならまずレンジと対戦しろ!

と言われたほど強かったレスラーだ。

 

最強伝説には必ず名前があがるレスラーである。

力道山時代に一度、国際プロレスに一度、計2回しか来日していない。

40過ぎに試合中のリング上で心臓麻痺で亡くなった。



 
ビルミラー最強説
2008.10.25

カールゴッチはカールクラウザーの名で第3回ワールドリーグ戦に初来日した。

新鮮なサブミッション技、そして芸術技原爆固めで旋風を巻き起こした。

だが惜しくも優勝戦には進出出来なかった。

 

力道山と決勝を争ったのはミスターXだった。

マスクマンミスターXの正体はビルミラー。

アマレス時代はやはり全米チャンピオン。

 

ガニア、ハットンと同期でミラーを含め、

この3人は全米学生アマレスの3羽ガラスと呼ばれた。

 

この来日でゴッチと仲良くなり、長間友人関係となった。

力道山はミスターXに反則勝ちで辛くもワールドリーグ戦3連覇をした。

 

このリーグ戦中、ゴッチは力道山とただ一度シングルマッチを行なった。

結果は1対1の引き分け。

力道山が生涯勝てなかったレスラーはゴッチとエンリキトーレスだけだ。

 

ちなみに、ほとんどのトップレスラーに勝っているジャイアント馬場さんが

生涯勝てなかったレスラーはホッジとガニアだけ。

ここでもゴッチとホッジの名が出て来る。

 

カールゴッチは日本から帰国後全盛期を迎えてアメリカマットで活躍する。

テーズの世界タイトルにも何度も挑戦した。

多分当時のアメリカマット界ではトップのサブミッションマスターだったろう。

 

 

1960年代の最強ビッグ3はテーズ、ホッジ、ゴッチだったということはよく聞く。

カールゴッチの全盛期の強さは驚異的でなおかつ危険な男。

そして無類のトレーニング好き。

いろんなレスラーが弟子入りした。

コーチとしての手腕は周知の通り。

猪木さんマツダさん始め多くのレスラーをコーチした。

 

その中で誰が一番強くなったか?

議論のあるところだが、私はいろんな話を聞いて

先程の友人関係のビルミラーではなかったかと思う。

 

ミラーは2メートルの巨漢でアマレスチャンピオン。

ピンフォールする技術は素晴らしいが、

関節技ではゴッチの足元にも及ばなかった。

ゴッチとのスパーリングでは上にはなるんだが、

いつも簡単に魔法のように関節を決められた。

 

ミラーは友人ながらゴッチの弟子となった。

それが今なお伝えられるビルミラー最強説の序章となる。



 
ダニーホッジ
2008.10.24

ダニーホッジが40代前半の若さで引退した原因は

交通事故に遭い首を負傷した事だという。

 

 

ホッジが全日本プロレスに来日した時、

同時にアマレス全米チャンピオンだった

ボブループとボブバックランドの2人の後輩レスラーも来日した。

2人ともアマレスの雄である。

 

だがホッジの前ではまさに直立不動。

試合前の練習では先生と生徒の感があった。

2人とも心底ホッジを尊敬してるのがわかった。

  

私も若手ながら教わった。

私は今でも壁に対して身体を斜めにしての指立て伏せ20回ワンセットをやっているが、

これはホッジに教わったもの。

足から腹筋、肩甲骨と効いて肩凝りには絶大な効果がある。

 

ともかくダニーホッジは細身ではあるが人間離れした握力と超スピードのタックル、

それに殺人パンチの持ち主なので強い訳であった。

この来日後に交通事故に遭っての引退はショックだった。

 

だが70代の今でも健在で近々来日する噂がある。

会いたいものだ。

 

 

テーズ、ホッジときたら、やはり次はカールゴッチであろう。

アメリカマット界でのシューターの代名詞としてよくカールゴッチの名前が出る。

「ゴッチと同じくらい強い」「ゴッチの次に危険な男だ」

なんて比喩がよく使われた。

 

それほどカールゴッチの名は日本だけでなくアメリカにおいても強さの象徴だった。

私がフロリダで会った頃はすでに60に近かったが、相変わらず凄い身体をしていた。

当時2人並んだ写真を今でも持ってるが、20代私の方がかなり貧弱だ。 

カールゴッチの初来日は1961年。力道山時代だった。



 
「世界最強の男」2
2008.10.23

ルーテーズはプロレスラーの理想像ではなかったかと思う。レスラーとして素晴らしい肉体、風格、そしてテクニック、スタミナ、反射神経。ルーテーズの30代40代はチャンピオン像の頂点の姿だったと思う。

 

 

じゃあルーテーズが最強だったか?となるとまたいろいろ意見が出て来る。偉大さと最強は別物という事となる。かと言ってテーズの強さは本物。仕掛けられたら応戦する技量と精神力の強さを持っていた。

 

 

ルーテーズ博士の流智美氏がテーズ自身が選ぶベスト6のプロレスラーを「ルーテーズ自伝」の中で書いてあった。力道山、カールゴッチ、ディックハットン、ダニーホッジ、ルーターレンジ、ジョージゴーディエンコの名を挙げた。6人とも大変な名レスラーでどれもが最強レスラーと言っても良い。

 

 

この中で健在なのはダニーホッジだけだ。流氏はこのホッジとテーズの師匠エドルイスが最強レスラーではないかという。ダニーホッジは世界ジュニアヘビー級の歴代最強のチャンピオンである。アマレスとアマボクシングの全米チャンピオンというスーパースポーツマンだ。アマレスでは二度オリンピックに出場して銀メダルを獲得した。

 

 

ホッジの現役最後の来日は1974年7月。全日本プロレスだった。私は入門3か月の若手であった。



 
「世界最強の男」
2008.10.22

プロレスファンからよく聞かれる事に「誰が最強のレスラーだと思います?」の質問だ。
ファンだけじゃなくレスラーにもそれぞれ思い入れのあるプロレスラーがいるはずだ。



現段階では誰なのか?歴代最強は果たして?
私らの子供時分の「世界最強の男」は日本のヒーロー力道山だった。
力道山が亡くなってからは、「地上最強の鉄人」ルーテーズとなった。



この地上最強という言葉がいいよね。地球上で最強って事だから。
ルーテーズの逞しい体躯と聡明そうな表情を見るに最強のレスラーだと信じた。
936連勝の記録も納得できた。



実際これ迄のプロレスラーで誰が一番偉大だったかの問いを
マスコミとレスラー間に聞くとほとんどの答えがルーテーズの名を挙げるだろう。
それほど全世界のプロレスラーの信望をルーテーズは集めていた。
この項続く…。



 
 
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