別にゆうさんの部屋なんか戻りたくなかったが、急に雨が降りだしたのだ。うつぶせで寝ている70歳の老人の側で3人が座って話している。かみさんがまた話し出した。
「他の住人の人達はちゃんと毎月払ってくれているのに。昔はこんな事はなかったんだがねえ」
「あのさあ、俺はこのじいさんとはそんなに親しくないんでね。悪いけどタクシー呼んでくれないかなあ」
ダンナは私の顔をマジマジと見て何かを思い出そうとしている。
「呼びますよ。呼びますとも!その前にね、他の人に示しがつかないでしょう。4か月も溜め込んだら」
「?…!そんなの俺には関係ないよ。ともかくダンナさん早くタクシー呼んでくれ」
「…!あ、思い出した!あんた渕だ。渕選手だ!」
「選手?何やってる人なの?」
「プロレスラーだよ。昔テレビに出てましたよね。そうだ渕選手だ!」
「あーらそう!そんなに有名な人なの」かみさんがニヤリとする。とうとう思い出してしまった。
「いやそんなに有名じゃないよ。早くタクシー呼んで!」
立ち上がろうとするがかみさんが掴んで放さない。
「本当に困ってるのよ。このままだと出て行ってもらうしかないわけだし、それも可哀相でしょ」
「たしか全日本プロレスですよね。いつ頃引退されたんですか?」
私はそれには答えず、嫌な予感がしたので早く出たかった。
ゆうさんが寝言かブツブツ言ってる。
「そんなに有名なプロレスラーでこの憐れな老人の友達なら」
「有名でもないしこんなじいさんの友人でもない!」
「ひと月分だけこの人の代わりに置いてってくれない?」そんな無茶な!
「まだ引退して間もないですよね。懐かしいなあ」ダンナは呑気に聞いてくる。
「そう駄目…。それじゃ明日でも出て行ってもらうしかないわねえ。4か月も家賃払ってないんだから当然だもの」
「明日?…家賃は一か月幾ら?」馬鹿だ!聞いてしまった。
「うちは安いよ。7万5千円。プロレスラーは稼いでるから4か月まとめても」
「ちょっと待ってくれ。誰も払うなんて」私は胸元に手を当てた。
チケット代が入った封筒を持ってる