ジャンボ鶴田さんが亡くなって10年たつ。
49歳だった。
今活躍しているレスラー、及びマスコミ関係者でも実際鶴田さんと会ったことがない人も多くなった。来年1月は馬場さんの13回忌だ。
馬場さんと鶴田さん、この2人がいなくなって10年以上時が過ぎているなんて!
38年前に馬場さんは全日本プロレスを創立し、すぐに鶴田さんが大学在学中ながら入門した。いや本人の言い方なら就職した。1年後、アメリカ修行から凱旋帰国して蔵前国技館において馬場さんと組みファンクスと対戦した。
結果は1対1の引き分けだが、鶴田さんはあのテリーファンクから原爆固めで1本奪った。新しいスターの誕生に馬場さんは喜びマスコミも大いに後押しした。
鶴田さんは20代前半、若く躍動感に溢れていた。人気急上昇。女性ファンがプロレス会場にやって来るようになった。外人トップレスラーともいい試合を重ねた。
ドリーファンク、ジャックブリスコ、ハーリーレイス、ジンキニスキー、ペドロモラレス、ブッチャー、バーンガニア、ビルロビンソン、フリッツフォンエリック等々。
私は当時若手ながらよく覚えている。本当一流どころと凄い試合をやっていた。後年「善戦マン」と呼ばれたのは80年代になった頃だった。
それも84年2月にニックボックウインクルを破りAWA世界タイトルを奪ったあたりから言われなくなった。ファンの後押しもあった。みんなが応援したいレスラーでもあった。
私にとってプライベートでは青春を共にした先輩であった。鶴田さんファンの女性は何故か皆美人揃い。私は若気の至りで何人かモーションをかけたが常に振られた。鶴田ファンだから当たり前なんだが(笑)。
鶴田さんのスポンサーに連れられての赤坂六本木通い。華やかなクラブでの飲み会。高級ウイスキーの旨さにプラスして艶やかなホステス達の美しさ。私の欲望に火がついた(笑)。
鶴田さんも私も20代前半の若者で独身。よく遊んだもんである。もちろん練習だってよくやったさ。仕事に遊びに燃えてたってこと。
将来に不安なんて全くなかった。若さゆえかもしれないが、馬場さん鶴田さんがこの世から居なくなるなんて考えもつかなかった。
私もいろんな意味で若かったんだな。